清流「球磨川」の恵みを商品づくりに
昭和6年創業。日本人の食生活に欠かせない
味噌・醤油をこだわりの製法で造り続けています。
創業当初から球磨川の清澄な水質と自然をベースに、
最良、本物の味を兼ねそなえた品を
皆様のお手元にお届けできますよう、
日々努力を重ねております。
弊社におきましては「自然の心を生かした味づくり」こそが、創業以来の一貫した事業使命であります。
昔からの醤油の生命である『天然もろみ』を当地方で唯一醸造し堅持することを誇りにして、本物のみそ・醤油の醸造に専念し、当地方のお客様方の限りないニーズに対して、十二分にお応え出来る創造性豊かな製品の開発に取り組んでまいります。
今後共、更により一層の努力を続けてまいりますので、何とぞ、これ迄同様変わらぬ御愛顧を賜りますよう心からお願い申し上げます。
合資会社釜田醸造所
社長 釜 田 顕
釜田家の歴史
熊本県下益城郡小川出身の釜田半兵衛は、まだ武家社会の色合い濃い明治の初期に、たくましい商魂と先見の明を抱いて未知の相良藩城下町「人吉」に移住することを決意しました。そして、当時の大きな商家と同じように、球磨川の船便に便利な五日町に居を構え、「小川屋回送店」を創業しました。以来、当地方に生産される米、茶、椎茸等の農林産物を大量に買い付け、これを国内各方面に移出し、その販路はとおく京阪地方に及ぶ取引を行っていました。当時は勿論現在のような鉄道や道路はなく、その輸送に当たっては、ほとんど球磨川を利用していました。中でも米は主として旧藩主相良の貯蔵米を年間三千俵〜四千俵を買い付け、川船五、六隻に満載して長崎方面に送り出していました。
明治41年6月、八代〜人吉間に待望の鉄道が開通するや、それを機会に人吉駅前に『小川屋運送店』を創立して運送業を開始しました。ここでも半兵衛は先見性と決断力を発揮しました。続いて周到な計画と積極的な経営方針によって小川屋運送店の業績は逐年、新時代の進展と共に隆盛を極めてまいりました。
しかし、大正10年1月、釜田半兵衛は釜田家の基盤を確立すると共に、事業家としてのすぐれた業績を人吉・球磨地方に残して他界致しました。そしてその家督は円満に人吉の本郷家の次男、元次郎が継ぐことになり、義父の事業一切を継承致しました。
この家屋敷は、その当時の大正末期に、釜田家においてお客様を親しく御招待申しあげる別邸として建設したものであります。思いますに、往時、大正時代の商家における建築様式の一端を今にとどめているものと考えられます。
釜田醸造所創業
その後昭和六年に、釜田元次郎が『さがらみそ・マルカマ醤油蔵』を創業致しました。申すまでもなく、味噌・醤油は古くから日本人の食生活にとって最も貴重な必需食品として伝えられ愛好されて来ました。誠実で使命感の強かった元次郎は、この食品の特性を見極めて、創業当初から球磨川の清澄な水質と自然をベースに、最良、本物の味を兼ねそなえた品を製造し、販売することに専念してまいりました。続いて戦時中から戦後のあの未曾有の食糧不足の時代においては、当地方の方々への味噌・醤油の供給に努力し、人吉・球磨地方における食糧不足の緩和に僅かながらお手伝いさせて頂きました。
合資会社を設立
昭和33年12月、『合資会社 釜田醸造所』を設立、続いて昭和48年10月、子息の釜田元嘉が、(資)釜田醸造所、二代目社長として就任しました。なお元嘉は社長就任以前に、大学において醸造に関する専門的理論と実践的技術を習得してまいりました。
そして昔ながらの良いものに更に創意工夫を重ね、併せて保健に配慮して製造商品化した、みそ・醤油・酢・相良の味・マルカマナット・さがらみそ漬け等を、人吉・球磨地方は勿論、隣接する宮崎県や鹿児島県を販路として現在に至っています。
相馬藩 鍛冶の由来
相良氏は、建久年間(1190〜1198)、鎌倉幕府の時頭として現在の静岡県の遠州相良より下向された。
相良藩の鍛冶は、遠州の鍛冶技法に当地在来の技法を加えた独特の鍛冶技法である。
藩政時代、島津・細川の大藩にはさまれた相良氏は独特の兵団を組織して対処した。武士も農耕に従事し一朝事あるときは、農民も武器を取って立つ、兵農一体の軍団である。武具、農機具と山林道具は、用途において一つとなり、刀工の技法は即、野鍛冶の技術ともなった。
相良氏は、城下に鍛冶屋66軒を集め鍛冶屋町を作るとともに、鍛冶を奨励し、相良700年の伝統を守り続けた。現在、その流れを汲む鍛冶屋は1軒のみであるが、先祖が築いた技法を守りつつ、新しい技法を導入して今日にいたっている。
鉄砲鍛冶の由来
江戸時代後期、相良藩内の鍛治職人から選ばれた井上伴衛門は、江戸の鉄砲鍛冶に弟子入りすることとなった。伴衛門は、短期間に鉄砲職人としての技術を習得し帰国、相良藩専属の鉄砲職人として大いに活躍し、後継者を育成した。
そして晩年は、鍛治屋町の弊社の敷地内にあった「西猟銃修理所」で余生を送った。元来、西家は相良藩の鎧の専属職人であった西寅助の一門であり、井上家とは近い親戚筋にあたり、特に、二代目西正喜は井上伴衛門から鉄砲の修理技術を伝授された。
その後、この技術を基本に、猟銃の修理技術を独自に研究開発し、あらゆる猟銃の修理を可能にした。
展示されている品々は、二代目正喜と三代目日出光が使用していた修理道具と修理された猟銃である。
昭和6年 | 初代、釜田元次郎、釜田醸造所を創業。 |
昭和33年 | 合資会社 釜田醸造所 設立。 |
昭和48年 | 釜田元嘉、二代目社長に就任。初代、釜田元次郎、会長に就任。 |
平成元年 | みそ・しょうゆ蔵 開業。 |
平成13年 | 釜田 顕、三代目社長に就任。二代目、釜田 元嘉、会長に就任。 |
平成17年 | 全国醤油鑑評会にて、こいくち醤油『蔵一番』、農林水産大臣賞受賞。 |
会社名 | 合資会社 釜田醸造所 |
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住所 | 〒868-0001 熊本県人吉市鍛冶屋町16 |
ホームページ | http://www.marukama.co.jp |
メール | info@marukama.co.jp |
電話 | 0966-22-3164 |
FAX | 0966-22-3165 |